先月のこの通信でお伝えしたテニスの全仏オープンにおける加藤未唯選手の失格については、朝礼の設問にも取り上げて、みなさんの考えを深堀してもらいました。
みなさんの回答を読ませてもらい、多くの人が「自分が加藤選手だったら納得がいかない」「スポーツ選手なら正々堂々と最後まで実力で勝負すべき」といった意見だったようです。「観客やファンによいプレーを見せて勝利してお金をもらうのがプロではないでしょうか」と書いてくれた一文に凝縮していると感じました。
このような意見が大半だったことはとてもうれしく感じました。「正々堂々とした」「納得できる」「共感できる」プレーこそプロフェッショナルに求められるものであるという見方は、間違いなく健全な仕事観に通じるものがあると思います。
しかし「一見、正々堂々と見えないかもしれないけど、成果を手にするためにはルールの範囲内であらゆる手を尽くす」という現実が存在することも知っておかねばならないでしょう。
でも「勝利のためならルールに抵触しない限りできることを何でもやるべき」というような考え方が主流の会社組織だったら、そこはお客様のために最大限の努力ができるでしょうか。やはりお客様や仕入先さん、そして仲間どうしが納得し共感できることはとても大切に思いますし、わが社内にはそう感じている人が多いのはうれしい限りです。
しかし日々私たちが仕事をし生活していく中で、すべて納得、共感できることばかりかどうかと振り返れば、そうでない場面も多々あることでしょう。お客様満足向上のために品質や対応をよりよくするために磨いていくことの大切さは誰もが感じるところだと思います。たとえば顧客満足向上のために新たにやろうとすることが具体的になったとき、関係者すべてが納得共感して取組むことができれば、きっとすばらしい成果を作り上げることができるでしょう。でも現実にはそうでない場面もたくさんありますよね。「そもそもそのやりかたに納得できない」こともあるし、「やることはいいとわかるけど、それってうちの部署にめっちゃ負担がかかるじゃん」とか「それって誰がやるの?まさか私?」という場面を経験したことありませんか?
本来やるべき目的は正しいのに総論賛成各論反対の場面に遭遇したことはありませんか?それって「自分の利益のため(不利益回避のため)ルールに抵触しないように行動する」ってことに通じ、「正々堂々」に反していませんか?
自分の記憶の中にも、理想(あるいは建前)と現実のギャップの中で自分をごまかして帳尻を合わせていたことがまちがいなく記憶の中に残っています。
人間ですから、理想と現実のギャップに悩み、妥協をすることもあるかもしれません。でも誰もが仕事を通して社会の役に立ちたいという思いがあるほずです。自分のやったことがまったく評価されなかったらとても悲しいことです。でも私たちは幸いなことに戦争も無く、生活物資が窮することもない日本社会で生活し、仕事で生計を立てている以上、自分だけ安寧な生活ができればいいという思いよりも、社会の一員として社会に認められ、仕事を通して社会に少しでも役に立てるようになりたいと願うのは人としての欲求ではないかと思います。
加藤選手のまつわる出来事とそれに対するみなさんのコメントから、「仕事に対して、生き方に対して、どういう信念を持って臨むか」、即ち、自らの仕事観、人生観を明確にすることの必要性と重要性を感じました。