MESSAGEは弊社代表の太田和隆が社員に向けたメッセージを社外向けに加筆してみなさまに読んでいただくコラムです。
ダイヤ冷ケースの仕事に対する考え方を感じてもらえれば幸いです。

8月に思うこと

原爆ドーム

 毎年8月になると6日は広島原爆、9日は長崎原爆、15日は終戦記念日の報道が流れます。もう今年でなんと79年です。先の戦争はもはや歴史の一部になっている感じがします。

 データによって数字はさまざまですが、広島の原爆投下によって89000人の人が犠牲になったと言われています。長崎では74000人。ほとんどが軍人ではなく一般市民です。

 1944年に本土空襲が始まり、硫黄島が占領されたことによって翌年3月から本格化していきます。最初に空襲を受けたのは立川だったのを知っていましたか?立川から昭島にかけて航空機工場がたくさんありましたから(今でも名残がありますね)、真っ先に標的になったのですね。戦争末期では今の私たちの工場近辺は焼け野原だったにちがいありません。

 1945年3月には東京が大空襲されました。300機以上のB29が飛来し、約10万人の一般人を殺戮しました。それ以外にも多くの都市が空襲され、30万人から50万人が亡くなったと言われています。日本の木造家屋を効率的に焼き尽くすことができるいわゆる「焼夷弾」を雨あられのごとく都市の上空から落とし、本当に街を焼き尽くしました。この「焼夷弾」の開発には、ユタ州の砂漠に模擬都市を作り、そこで実際に投下して最大効果を発揮できるように実験を重ねて実戦に用いたという米軍の周到な準備がありました。

 主要都市のなかに京都をはじめ、金沢、新潟、広島、長崎、小倉(8月8日に空襲されました)など空襲されない都市もありました。なぜだかわかりますか?それは事前に空襲で街を壊してしまっては、原爆の破壊効果を正しく測ることができないからです。これらの候補地から、当時の天候などの理由で広島と長崎が投下先に選定されてしまったのです。「京都は歴史文化財がたくさんあるので、米軍は爆撃しなかった」という話がありますが、この真相はGHQが作った後付けの『美談』なので信じてはいけません。

 1943年(原爆投下の2年前)には当時の米国大統領のルーズベルトと英国首相のチャーチルが核兵器計画の秘密協定を結んだことは明らかになっており、投下実験するのは白人国家のドイツやイタリアではなく、有色人種の日本に決められていたと言われています。

 「早く戦争を終結させ、多くの連合国の若い兵士の生命を守るには原爆投下は正しい選択だった」という米国の理論は戦勝国の表向きの理由であり、実際は「核兵器の実戦実験は今しかない」こととソ連への牽制のために、多くの日本人が犠牲になったのです。

 約80年経った今、これらの歴史を見つめれば、個人的には原爆投下や本土空襲は大いなる戦争犯罪といって間違いないと思います。しかしながら原爆記念碑に記された「安らかにお休みください。過ちは繰り返しませんから」という言葉を「戦争を始めた日本人がしっかり反省しなければならない」的に理解をしている人が多いように感じます。

 私が中学校の時の社会科の先生の言葉がしっかりと記憶に残っています。「8月15日は終戦記念日というが、正確には敗戦記念日なのです。真珠湾を奇襲することで日本が仕掛けた戦争の結末です。」当時の私を含めたほとんどの生徒が『そうなんだ!日本が悪かったんだ』と思いました。とてもいい先生でしたので、その先生が言うことを素直に信じました。おそらくその先生の生まれは昭和10年前後だと思います。戦後のGHQによる教育指針で自虐的歴史観を教育された世代なのです。

 なぜ大東亜戦争は始まったのか、どうやって終結したのか、など私たちは正しい歴史観をしっかり学ばないといけないと思います。

 今回は仕事の話から離れてすいません。

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