福島県から北海道の山奥へ移住してきた父母は、13年ほど炭焼きをしたあと農家になったが、家族が7人で貧しかった。
ぼくが小学校5年生の時だった。村の学校の5年生は男女合わせて15人しかいなかった。ある日、先生が学芸会の劇の主役を発表した。
なんと、主役の太郎冠者にぼくが指名されたのだ。驚いた。うちの家族が村にきたのが遅いうえ貧しかった。そのうえぼくは、引っ込み思案で走るのも遅く、視線を急に左右に動かすと、ときおり斜視になったりしてひどい劣等感をもっていた。
そんなとき学芸会の主役に選ばれたのだから嬉しく、気が動転した。
家へ帰るとすぐに両親に自分が主役に選ばれたことを興奮して報告し、「学芸会、見にきて」と言った。とても得意だった。
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次の日、学校に行くと先生に教壇のところへ呼び出され「太郎冠者は別の生徒にやらせることにした」と言われた。ぼくは道路わきの石の役に代えられた。
ぼくは驚きで声も出ず、黙ってうつむいた。クラスのみんなが、こっちを見ていた。
先生が「わかったか!」と言ったが、親にも行ってしまったこともあり黙ってしゃがんでしまった。
すると先生が手でぼくの左耳をつかみ、「この強情者が!」と激しく引っぱった。耳の根が鋭く痛み。首へ生ぬるいものが伝わった。
ぼくはそろそろと自分の席へ戻った。耳にさわると手に血がついた。
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ぼくは親に自分が主役を降ろされたということが言えず「学芸会に来なくていいから。ほかの親もこないみたいだから」と言った。
学芸会が終わってしばらくたったころ、ある噂を聞いた。それは、ぼくが主役に選ばれた日の夜、ある村人が先生のところへ大豆を一升持って行き、自分の孫を主役にしてほしいと頼んだというものだった。
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それから70年近くがたち、もう忘れた。みんな大変だったんだ、と思うだけだ。
上記の文章は作家の小檜山博先生の「学芸会で」という題のエッセイです。
先日の社内勉強会で、この文章を題材にディスカッションをしました。
一度読み終えての感想は、多くの人が「子供の心を傷つけるひどい先生だ」「簡単に買収される先生は教師の風上にも置けない」というような先生に対して批判の意見が多くありました。
しかし戦後間もない時代背景、先生の年齢や家族構成を想像していきながら、議論を深めると、「先生には幼い子供がいて、その子に少しでも食べ物を食べさせたかったのではないか」「先生が激しく耳を引っぱってしまったのは、引っ込み思案の『ぼく』にスポットライトを当てて成長させようと教師として考えたのに、一升の大豆と引き換えに自分の教師としての誇りを捨て、さらに生徒の心を傷つけてしまった自分への怒りではなかったのだろうか」などと、先ほどとは違った意見が多く出されました。文殊の知恵ではありませんが、他人の意見をしっかり聴くことは、新たな発見にもつながるのですね。
その時代、『ぼく』も傷つき、『先生』もつらかった。それを「みんな大変だったんだ」と思える寛容さは人間の美しい心ではないかと感じます。そしてそれに気づける人もすばらしい。
洞察しながら思考を深めていくと、事実の裏に隠されたものが見えてくるようです。起きた事象を一面だけからとらえるのではなく、なぜそうなったのかという理由や原因を探っていくと、それまでとは明らかに違う姿に変化していくこともあるようです。
今も大変な時代です。お互いにがんばる力と洞察力を持って生きていきたいですね。