先日、プロ野球のロッテで投手コーチを務める吉井理人さんの講演を聴く機会がありました。吉井理人さんといえば、和歌山の箕島高校からドラフト2位で近鉄に入団。ヤクルトでも活躍して渡米。メジャーリーグでも3つの球団でプレー。日本球界に戻ってからは仰木監督のもとオリックスで活躍、その後ロッテを最後に現役引退してからは日本ハム、ソフトバンクホークスのコーチを経て現職についています。今年は井口監督とルーキーの佐々木朗希選手をどのように育成していくか大きな注目を集めているところです。
現役時代にコーチから受けた指導をもとに、吉井氏自身がコーチとして選手を指導していくのですが、なかなかうまくいかない。吉井氏の一言で選手が調子を乱してしまうこともあった。サッカーは選手や監督になるにはライセンスを取得しなければならないが、野球はそういうものが無い。経験則からの指導がメインになっている。吉井氏は自分の経験を理論で理解して言葉で伝えることができなければ、よいコーチになれないと筑波大学の大学院でコーチングを学びに行きます。そこで自らの経験をコーチング理論として書籍にもまとめて、コーチとして再出発をします。教えるのではなく、選手自身に気づきを与えるように接する。経験したことの内省を促し、そこから教訓を引き出して、新しい状況に適応していくことを繰り返していく。これを選手とともに行なうことで自らも学習する。常に選手とともに進化していかなければならない。学ぶことをやめたら教えることをやめなければならないという言葉が印象的でした。
今月のグループ朝礼では「理念と経営」の栗山監督の記事をテーマに意見を交換しましたが、吉井氏が日本ハムのコーチの時の監督が栗山氏でしたので、「栗山監督は本当に渋沢栄一の『論語と算盤』を選手に配っていたのですか?」と質問してみました。
吉井氏の答えは「確かに若い選手には読むようにと配っていたようです。だけど私は読書すれば野球がうまくなるとは思いません。」とバッサリ。しかし以下のような話を続けてくれました。
「日ハムのコーチ時代にダルビッシュが入団してきました。ダルビッシュはすばらしい逸材で投球練習を見ているだけで、栗山監督も私(吉井氏)もスゴイ球を投げるなと目を丸くして見ていました。しかしコイツは結構ワルでパチンコ屋でタバコを吸っているのを週刊誌に記事にされてたたかれたこともありました。しかしさらに力をつけてメジャーへの挑戦を志すと、いつの間にか社会人としての見識が身についてくるのです。すごい選手なのに好奇心や探求心、向上心というものがさらにすごいから、野球の実力がどんどん磨かれ、メジャーが現実的になってくると、メジャーリーガーとしてどうあるべきかということにも探求していく。ダルビッシュが論語と算盤を読んだかどうかは知りませんが、結果として、野球の実力も人間力も超一級になったのだと思います。そこそこ力があって、こいつは大物になるかも、と感じさせる選手でも、試合や練習の後に、勉強よりも飲みに行くことを優先させる人は大成しません。」
ワールドクラスの実力者の言葉には大きな重みと説得力があります。世界を経験した人だからこそ見えるもの、理解できるものがあることはまちがいないと思います。しかしその中には万人に共通するものもあると思います。
栗山監督の記事の中に「努力の重要性を理解し、それが習慣となった人はめきめき成長する」という一文があります。それが意味するところと吉井氏の言葉の中に、私たちにも通じる普遍なものがあるように思います。